
模倣の連鎖の中では、長く愛され続ける料理は生まれない
数々の名店を渡り歩き、いずれも屈指の人気店へと成長をさせてきた松崎亮輔氏。現在は調理スタッフのマネジメントや店舗プロデューサーとして活躍。シェフという肩書きでは語り尽くすことのできない、様々なチカラを発揮している。
もちろん“料理人”であり続けてはいたものの、松崎氏のキャリアは一般的なシェフとは少々毛色が異なっている。名門の調理師学校の講師として20代を過ごし、その後は都内の人気店で腕を振るってきたため、これからの“料理人のあり方”に対する意識が人一倍強い。
「うまい料理を作るのは重要ですが、それは当たり前の要素。料理人でありながら、経営者としての側面も必要です」
料理人が目ざすべきは“独立”ではなく、あくまで“起業”が理想。そんな考えを持つに至った背景には、現在の飲食業界の構造的な問題があるという。
「自分の店を持ちたいと考える料理人が多いがために、巷に小さな店が増え、それによって従業員の奪い合いになる。あまり良いとはいえない待遇でハードに働かされるため、どうしても長く続かない、そんな若者が増えて、“夢が持てない業界”になってしまっているのです」
教育者でもあった松崎氏は、そんな状況に対して危惧を抱き、“業界そのものを変革したい”という思いから、常に経営が学べる企業体に身を置きながらシェフとしてのキャリアを重ねてきた。
「実は、この会社に身を置く前に、様々な企業やホテルから声がかかったり、出資するから店を持たないか?と言ってくださる方もいました。しかし、私はあえてベンチャー気質溢れる株式会社エスクリへの参画を決めました。若く勢いがある企業に身をおいて、自らが目指す店づくり、若手の育成ができると感じたのです」
常に変革が求められるベンチャー企業とフランス料理には相通ずるものがある。
「フランスには、海外文化を柔軟に取り入れる文化があって、実は頑なに伝統を守り続けてきたかのように見えるフランス料理も、これまでずっと変化を続けてきた。だからこそ、世界で一番の料理と言われるまでになっている。変化を続けながら継続すること。私が目指すのは、そんな料理であり、そんな業界です」
そんな松崎氏の人生を大きく変えてしまったのは、調理師専門学生時代に1年の研修期間を過ごしたフランス・リヨンでの経験だった。そこで“本物”を知ってしまったのだ。
「半年間は、ひたすらそこで実習を重ね、残りの半年間は、現地の三つ星レストランで修行をさせてもらいました。休日にはできるかぎり街にでて、あらゆるものを吸収しようと心がけていましたよ。20歳でしたからね。すべてが新鮮に映りましたよ。しかも、本場にいるわけですから、何を見ても、何を食べてもすべて、“これが本物なんだ”と噛みしめながら過ごしていました」
20歳だった松崎氏はその時に、本物のフランス料理を食べて過ごしてきたフランス人が日本にやってきて、自分が作った料理を食べたとき、『これはフランス料理だね』と、そう言ってもらえるようになりたいと強く思ったのだという。
「日本の食材で日本風のフランス料理を作りたいというより、そこで本物を知ってしまったがゆえに本物を作りたいと。もちろん、すべてフランスの食材を使うわけではないし、ゲストも日本人なので、今、100%本物を用意しているかというと微妙に違うとは思いますが、自分の中で“本物はこうだったから、ちょっとアレンジして、こうお出ししていますよ”という、裏のストーリーがあるかどうかが重要です」
料理人として、本物を知ることが重要だと考える松崎氏はこう続ける。
「模倣するものがあって、それをアレンジした人がいて、それを見た誰かがまた、それをアレンジしていく。そんな連鎖の中で、ひとつ手前の人が作ったものしか見ていないとしたら、それは長く愛される料理にはならない。数年で消えてしまうのですよ」
もちろん、調理師専門学校の講師として教鞭を執っていた時代にも、その思いは揺らぐことはなく、料理人に必要な根本的な指針のひとつとして生徒に伝え続けてきた。
「日本でも多くのシェフが本を出版していますが、それを読むなら、そもそもそのシェフはどこで働いていて、フランスの誰の薫陶を受けているから、こういう料理になっていると。では、そのフランス人シェフはどういう料理人なんだ、というところまで掘り下げてみるべきだと伝えていました。結局、見える部分をマネしていてもダメだと。源流の部分から紐解いていかなければ、今、自分が作るべき料理が見えてこないのです」
“本物”を知ってしまった松崎氏が用意する料理は、常に私たちに新しい驚きを与えながらも、スタンダードとしての崇高な魅了を与えてくれる。