
PCのフォントで表現できない世界感
【INTERVIEWS】
書道家の小川啓華さんが活躍するフィールドは実に幅広い。映画やドラマのタイトルバックから日本酒やお茶などといった商品ラベルやパッケージ、あるいは店舗ロゴや看板まで様々な用途に合わせ、ご自身の手による筆文字を提供している。
「ただ文字を書いて提供するだけではなく、文字を通じて、人の“思い”を伝えたいと思っています。たとえばお酒のパッケージであれば、それを醸造した杜氏に直接お聞きしたり、店舗の看板であれば、店主の方に“これからどういったお店にしたいのか?”をじっくりお聞きしたうえで、私が文字というカタチに置き換えます」
相手が明確なイメージを持っているときには、話を聞いているうちにインスピレーションがわいてくる。ところが自分が納得するまで、安易に相手に作品を渡すことはないという。
「ご依頼された方の“思い”をかたちにする責任をしっかり受け止めています。ですから一切、妥協することはありません。時には、何百枚も書くことだってあります」
クライアントがデジタルではなく、手書きの文字に求めるものには、“和”の要素であったり、デジタルフォントでは表現できない“動き”であったり、様々な側面があるいう。いいかえるならば、それだけ複合的な要素が筆文字の中にはあるということなのだろう。
「日本人は書道というものに昔からなじんでいたので、そこに温かみを感じるものです。手書きの手紙に込められた相手を思うキモチと、それを受け取ったときの感触。そういった感覚が求められるケースもありますし、文字そのものが持つ躍動感や息遣い、力強さなどが表現できる。デザイン的要素とアート的要素を併せ持っているのです」
それはパソコンのフォントで表現できない世界感だと小川さんは語る。しかもそれは、二度と再現できないもの。
「手書きの文字は、二度と同じものが生み出せません。世界に二つとないオリジナルを提供することができるのも魅力だと思うのです」
近年は、完成した作品の提供のみならず、様々なイベントの場で、書のライブパフォーマンスを実施している。
「作品だけではなく、書くという行為自体を見せることで伝わるものがあると思っています。それは二度と再現できない価値あるもの。その瞬間、瞬間にしかキャッチできない気持ちの流れを、静と動だけが存在するする世界観の中で、感じてもらえたらという思いからはじめました。現在は、日本国内はもちろん、海外のイベントにも招かれるようになりました」
16歳で師範免許を取った頃には、いつか、結婚したら、書道教室を開けたらいいな、それが幼少からの目標だったし、当時はそういうイメージしかもてなかったという。
「でも、本当にそれでいいのか?それって自分の可能性を限定しているのではないかとも思いました。それから少し、書道から離れて暮らすようになったのです」
10代の頃からモデルをしていた事がありますが、故郷の福岡から東京に出てくるきっかけがほしくて22歳の時に上京。しかし、それが本当に自分のやりたいこととは思えなかったという。
「そんな時、リキュールの広告の撮影の仕事と巡り合ったのですが、その新商品のボトルのデザインが“なんだか違う”と思えてきて、そうしたら急に書きたくなったんです。イメージが次から次へとわいてくる。すぐに実家から書道具を送ってもらって、衝動的に書かずにいられず、あふれ出るものがおさえ切れませんでした。壁一面に作品を貼って、カメラマンに見せたら、“なぜ、これでいかないのか?お前はこれだよ”といわれ、そこではたと気がつきました。私は大好きな書で生きていこうと・・・」
教育にも注力している。2つの書道教室を運営しながら、企業から依頼を受けてペン字も教えている。
「私は現在の日本の書の状況に危惧を覚えています。書道の授業がない私立学校もあるくらいですから。書道具も産業として衰退している。筆職人、紙職人、墨職人も少なくなっている今、まずは書道を楽しんでもらわなくてはいけない。書のすばらしさと同時に、そこに関わる人々の思いを伝えたいという、そんな使命を感じています」
書は日本ならではの文化。書道がもっと身近なものになるためには、伝統は大切だが、伝統に縛られない、ポピュラリティを獲得する必要がある。書の可能性を広げるためにも、書道家・小川啓華さんはチャレンジを続けている。
インタビュー・伊藤秋廣(エーアイプロダクション)